2019
06
30
息抜きと落語

皆様も,色々な場面でいわゆる「雑談」をすることがあるかと思います。

そのときに,よく話題になるのが「趣味」の話だと思います。私自身も,色々な会合に出たりすると自己紹介を求められ,その際に「趣味は?」なんて聞かれることが多々あります。ただ,私は熱しやすく冷めやすい性格なのか,「広く浅く」という趣味が多く,「趣味は?」なんて聞かれると返答に困ることが多いのですが,その中でも,割と凝ってるのが「落語」です。

札幌だと寄席があるわけではないので,CDで楽しんだり,お気に入りの噺家さんが札幌に来たときにその落語会に足を運ぶ程度ですが,いろんな噺家さんの落語を聴いては喜んでいます。(地下鉄やバスの中で,イヤホンをして私がニヤニヤしてたら,落語を聴いていると思って下さい。)

しかし,落語には人を騙したり,人の物を盗ったりという話がかなりありまして,そんな話を聴いていると,ついつい,弁護士としての思考が始まってしまうんです。例えば,有名な「時そば」。これは,屋台のそば屋を舞台に,そばを褒めたり調子の良いことを言ってそば屋を上機嫌にさせたうえで,代金の支払いの際に時間を尋ね「9つ」という返事をうまく利用して代金を1文ごまかすという話ですが,「これって『詐欺罪』成立するよなぁ」なんって思っちゃうんです。

また,人情話の大ネタとされる「芝浜」。私自身,とても好きな噺ではあるんですが,この噺では,冒頭の部分で,魚屋を営む男が,魚の仕入れに行ったときに浜辺で大金の入った財布を見つけて,そのまま持って行ってしまうんです。そのうえ,そのお金を使って仲間とどんちゃん騒ぎを繰り広げる。これも聴きながら「窃盗か占有離脱物横領だよなぁ」なんて思ってしまうんです。

また,落語を聴きながら考えるのは刑事事件のことばかりではなく,民事事件についても考えてしまうことがあるんです。「井戸の茶碗」という,これまた有名な噺がありますが,この噺では,千代田卜斎(ちよだぼくさい)という浪人が先祖から伝わる仏像をくず屋(今でいうリサイクルショップみたいなもの)の清兵衛に売ってしまうところから噺が始まります。そして,その後,その仏像を清兵衛から買い取った高木佐久左衛門(たかぎさくざえもん)が,その仏像の中に隠されていた沢山の小判を発見してしまうんです。そして,高木佐久左衛門は「仏像は買ったが,中の小判は買ってはおらん,千代田殿に返して参れ」と清兵衛に命じるのですが,千代田卜斎も「既に仏像は売っており,それは私のものではない」と,頑として受け取らず,清兵衛が困るという感じで噺が進んでいきます。その後,その後紆余曲折を経て,八方丸くおさまり,ハッピーエンドで終わるのですが,これも聴きながら,この仏像の中の小判,法的に考えたときに,千代田卜斎のものだろうか,それとも高木佐久左衛門のものだろうかと考えてしまうんです。

こんな思考も,一種の職業病なのかなぁと諦めつつ,落語を楽しんでいます・・・

なお,「時そば」については,柳家喬太郎師匠,「芝浜」は5代目三遊亭円楽師匠,「井戸の茶碗」は桂歌丸師匠のものがお気に入りです。よかったら,聴いてみてください。

弁護士 大町 英祐